【スピリチュアル】天照大神を祀る神社・身曾岐神社での浄化

2020年10月。今年は自分の誕生日を長野県で迎えました。

その日特に予定を立てていたわけではないので、夫に「どこか行きたいところある?」と尋ねられた私が咄嗟に口にした事。

「ここから一番近い神社に参拝に行きたいかな♪」

一年間大きな災いもなく無事に過ごせたことへの御礼と、また新たな一年間を過ごしていくにあたっての決意をお伝えしに行きたくて。

そこで偶然、その日に選ばれたのが “身曾岐神社” だったのです。

身曾岐(みそぎ)神社とは、八ヶ岳の南麓の自然豊かな清緑の地(山梨県北杜市小淵沢)に鎮座する天照大神を祀る神社です。

夏至の日の瞑想から、色々なメッセージがやってくる中、私の中でヒットしたものの一つが、【古神道】のことでした。(詳しくはまた書くとして・・・)

身曾岐神社を参拝する上で、知っていたら参拝の心持ちが変わることもご紹介していきます。


身曾岐神社について

身曾岐神社ホームページより(コラム含む)

 


「とほかみえみため」は最古であり最強の祝詞(のりと)

身曾岐神社では、ご先祖さま以来の罪穢れ一切を祓い清める「一切清浄」というお祓いがあります。

新たな門出に立った夫・誕生日という新しい生まれ変わりの日の私、我が家のエネルギーの源である息子の家族分を込めて、代表して夫がお祓いを受けました。

(私たちは同席しただけですが、それだけでも物凄いエネルギーが)

そこに飾られていたのが「とほかみえみため」最古の古神道の祝詞でした。

この祝詞には様々な解釈があるようですが、そのうちの

宇宙・地球・父母という私たちを生み出す根源の意が込められているとか。

宇宙を象徴するすべての根源の神〈 天之御中主神(アメノミナカヌシ)〉

生まれた土地の守護神〈 産土神(ウブスナガミ)

国生みと神生みの父母である神〈 伊奘諾・伊奘冉(イザナギ・イザナミ

 

これらすべてを指す祝詞が「とほかみえみため

なんだかものすごくパワーが宿っていると感じるのは私だけでしょうか。

お祓いや浄化(空間の浄化も含む)をする際は

祓い給い清め給えと唱えながら「とほかみえみため」も唱え祈るようになりました。

是非、参拝される際は「とほかみえみため」と唱えながらお手を合わせられることをお勧めします。

 


御神水に宿るエネルギー

水と神様には密接な関係あり、ご縁が深いです。

神社の敷地や境内に湧くお水を「御神水」と言いますね。

水は、もともと波動に敏感なのでエネルギーが宿りやすいのですが、神社などの水は波動が高い環境のエネルギーを転写しているので、より一層パワフルなんですね。

 

今まで、数え切れないほどの神社へ行き、たくさんの御神水を頂いてきましたが、禊を受けた後だからか?(いや、私自身は受けていない笑)

一口、飲んだ瞬間から身体の細胞がその凄まじいエネルギーを敏感にキャッチしたのです!!

 

夫婦揃ってエネルギー感度高めなのですが、

決まって夫は鳥肌、私は電流、というそれぞれの特徴があるのです。

この時も本当にすごかったですね。

何なら、境内に足を踏み入れた瞬間よりも感じたかもしれません。

二人感動して、何杯も飲ませて頂きました。

あまりの凄まじさに驚きを隠せず、、

身曾岐神社には水祥殿という社があるのですが、八ヶ岳より湧き出る井戸を神座(かむくら)として祀っているのだそう。

身曾岐神社と八ヶ岳の霊力が交わった強力な水であり、その水で禊がれ、心身の輝きを取り戻すことができるそうです。

心から納得(!)訪れた際は、ぜひ神さまのお水を頂いてみてくださいね。

山梨県北杜市の身曾岐神社を訪れることを推奨いたします。

 

神は火水なり⚡︎

 

 

God Bless You,

Natsuko.

 

たまたま訪れた神社が、私の大切にしているものをあわせもった神社だったということ、そしてそこはとても霊的な場所であったこと。

 

誕生日の日に導かれるように訪れた神社が「身曾岐神社」で、またさらに「古神道の学び」を深めたくなったのでした。

 


「とほかみえみため」は最古であり最強の祝詞(のりと)

身曾岐神社では、ご先祖さま以来の罪穢れ一切を祓い清める「一切清浄」というお祓いがあります。

新たな門出に立った夫・誕生日という新しい生まれ変わりの日の私、我が家のエネルギーの源である息子の家族分を込めて、代表して夫がお祓いを受けました。

(私たちは同席しただけですが、それだけでも物凄いエネルギーが)

そこに飾られていたのが「とほかみえみため」最古の古神道の祝詞でした。

この祝詞には様々な解釈があるようですが、そのうちの

宇宙・地球・父母という私たちを生み出す根源の意が込められているとか。

宇宙を象徴するすべての根源の神〈 天之御中主神(アメノミナカヌシ)〉

生まれた土地の守護神〈 産土神(ウブスナガミ)

国生みと神生みの父母である神〈 伊奘諾・伊奘冉(イザナギ・イザナミ

 

これらすべてを指す祝詞が「とほかみえみため

なんだかものすごくパワーが宿っていると感じるのは私だけでしょうか。

お祓いや浄化(空間の浄化も含む)をする際は

祓い給い清め給えと唱えながら「とほかみえみため」も唱え祈るようになりました。

是非、参拝される際は「とほかみえみため」と唱えながらお手を合わせられることをお勧めします。

 


御神水に宿るエネルギー

水と神様には密接な関係あり、ご縁が深いです。

神社の敷地や境内に湧くお水を「御神水」と言いますね。

水は、もともと波動に敏感なのでエネルギーが宿りやすいのですが、神社などの水は波動が高い環境のエネルギーを転写しているので、より一層パワフルなんですね。

 

今まで、数え切れないほどの神社へ行き、たくさんの御神水を頂いてきましたが、禊を受けた後だからか?(いや、私自身は受けていない笑)

一口、飲んだ瞬間から身体の細胞がその凄まじいエネルギーを敏感にキャッチしたのです!!

 

夫婦揃ってエネルギー感度高めなのですが、

決まって夫は鳥肌、私は電流、というそれぞれの特徴があるのです。

この時も本当にすごかったですね。

何なら、境内に足を踏み入れた瞬間よりも感じたかもしれません。

二人感動して、何杯も飲ませて頂きました。

あまりの凄まじさに驚きを隠せず、、

身曾岐神社には水祥殿という社があるのですが、八ヶ岳より湧き出る井戸を神座(かむくら)として祀っているのだそう。

身曾岐神社と八ヶ岳の霊力が交わった強力な水であり、その水で禊がれ、心身の輝きを取り戻すことができるそうです。

心から納得(!)訪れた際は、ぜひ神さまのお水を頂いてみてくださいね。

山梨県北杜市の身曾岐神社を訪れることを推奨いたします。

 

神は火水なり⚡︎

 

 

God Bless You,

Natsuko.

 

みそぎの淵源、そして、

みそぎをすればどうなるのか?


イザナギの大神さまは、黄泉の國から戻されたとき、自らお気づきになって、みそぎをされました。

そして、みそぎをされる中でたくさんの神さまがお生まれになります。

 

この場面、最後は、次のように描かれています。

 

左目を洗ってアマテラス大神さま、右目を洗って月読命さま、鼻を洗ってスサノオの大神さまが生まれます。この三人の御子神(みこがみ)は、とりわけうるわしい御子神でした。

イザナギの大神さまは大変お喜びになって、自分が今まで治めていた國をこの三人の御子神におまかせになって天へと還って行かれます。

つまり、みそぎをすると、あとをすべて託せるほどの運びがあるのだということが描かれているのです。

すごくないですか?

「みそぎ」こそが運びに預かれる唯一の手立てなんだということです。

引用ここまで


参考リンク: https://www.misogi.jp/


 

私たちは、御祭神の御徳を頂きながら「みそぎ」に励み、天地自然と一体になることによって、本性に立ち戻り、この世で生きながら神になることができるのです。

天地(あめつち)とともに生き合い、自然をもって教典とする〈いのちの信仰〉古神道。

この古神道の思想が、私にとっての生きる基盤であり私たち人間にとっての根本なのだと感じています。

それを体感するかのように、数年前から八ヶ岳の自然と触れ合う機会が増え、

2020年の4月、緊急事態宣言発令と共に、我の生活スタイル・私自身の生き方が大きく変わり、「自然とともに生きるとは」「自然との調和」・・というところに今まで以上に意識が向き、毎月東京と八ヶ岳麓のデュアルライフの中で自然から教わることが多くありました。

私が昔から感銘を受けている老子(ろうし)の道(tao)にも通ずる、自然をもって教典とする古神道の教え。

わが国で唯一、「古神道本宮」の名を冠し、日本の伝統精神文化の原点を正しく伝承する「身曾岐神社」

 

何度も言いますが、「みそぎ」とは、きれいになること。

「みそぎ」は、目に見えない人間の不幸や苦しみや悲しみの原因となる一切の罪穢れを祓い清めるのです。

清めるというのは人間としての本性に立ち返ることです。

たまたま訪れた神社が、私の大切にしているものをあわせもった神社だったということ、そしてそこはとても霊的な場所であったこと。

 

誕生日の日に導かれるように訪れた神社が「身曾岐神社」で、またさらに「古神道の学び」を深めたくなったのでした。

 


「とほかみえみため」は最古であり最強の祝詞(のりと)

身曾岐神社では、ご先祖さま以来の罪穢れ一切を祓い清める「一切清浄」というお祓いがあります。

新たな門出に立った夫・誕生日という新しい生まれ変わりの日の私、我が家のエネルギーの源である息子の家族分を込めて、代表して夫がお祓いを受けました。

(私たちは同席しただけですが、それだけでも物凄いエネルギーが)

そこに飾られていたのが「とほかみえみため」最古の古神道の祝詞でした。

この祝詞には様々な解釈があるようですが、そのうちの

宇宙・地球・父母という私たちを生み出す根源の意が込められているとか。

宇宙を象徴するすべての根源の神〈 天之御中主神(アメノミナカヌシ)〉

生まれた土地の守護神〈 産土神(ウブスナガミ)

国生みと神生みの父母である神〈 伊奘諾・伊奘冉(イザナギ・イザナミ

 

これらすべてを指す祝詞が「とほかみえみため

なんだかものすごくパワーが宿っていると感じるのは私だけでしょうか。

お祓いや浄化(空間の浄化も含む)をする際は

祓い給い清め給えと唱えながら「とほかみえみため」も唱え祈るようになりました。

是非、参拝される際は「とほかみえみため」と唱えながらお手を合わせられることをお勧めします。

 


御神水に宿るエネルギー

水と神様には密接な関係あり、ご縁が深いです。

神社の敷地や境内に湧くお水を「御神水」と言いますね。

水は、もともと波動に敏感なのでエネルギーが宿りやすいのですが、神社などの水は波動が高い環境のエネルギーを転写しているので、より一層パワフルなんですね。

 

今まで、数え切れないほどの神社へ行き、たくさんの御神水を頂いてきましたが、禊を受けた後だからか?(いや、私自身は受けていない笑)

一口、飲んだ瞬間から身体の細胞がその凄まじいエネルギーを敏感にキャッチしたのです!!

 

夫婦揃ってエネルギー感度高めなのですが、

決まって夫は鳥肌、私は電流、というそれぞれの特徴があるのです。

この時も本当にすごかったですね。

何なら、境内に足を踏み入れた瞬間よりも感じたかもしれません。

二人感動して、何杯も飲ませて頂きました。

あまりの凄まじさに驚きを隠せず、、

身曾岐神社には水祥殿という社があるのですが、八ヶ岳より湧き出る井戸を神座(かむくら)として祀っているのだそう。

身曾岐神社と八ヶ岳の霊力が交わった強力な水であり、その水で禊がれ、心身の輝きを取り戻すことができるそうです。

心から納得(!)訪れた際は、ぜひ神さまのお水を頂いてみてくださいね。

山梨県北杜市の身曾岐神社を訪れることを推奨いたします。

 

神は火水なり⚡︎

 

 

God Bless You,

Natsuko.

 

みそぎの淵源、そして、

みそぎをすればどうなるのか?


イザナギの大神さまは、黄泉の國から戻されたとき、自らお気づきになって、みそぎをされました。

そして、みそぎをされる中でたくさんの神さまがお生まれになります。

 

この場面、最後は、次のように描かれています。

 

左目を洗ってアマテラス大神さま、右目を洗って月読命さま、鼻を洗ってスサノオの大神さまが生まれます。この三人の御子神(みこがみ)は、とりわけうるわしい御子神でした。

イザナギの大神さまは大変お喜びになって、自分が今まで治めていた國をこの三人の御子神におまかせになって天へと還って行かれます。

つまり、みそぎをすると、あとをすべて託せるほどの運びがあるのだということが描かれているのです。

すごくないですか?

「みそぎ」こそが運びに預かれる唯一の手立てなんだということです。

引用ここまで


参考リンク: https://www.misogi.jp/


 

私たちは、御祭神の御徳を頂きながら「みそぎ」に励み、天地自然と一体になることによって、本性に立ち戻り、この世で生きながら神になることができるのです。

天地(あめつち)とともに生き合い、自然をもって教典とする〈いのちの信仰〉古神道。

この古神道の思想が、私にとっての生きる基盤であり私たち人間にとっての根本なのだと感じています。

それを体感するかのように、数年前から八ヶ岳の自然と触れ合う機会が増え、

2020年の4月、緊急事態宣言発令と共に、我の生活スタイル・私自身の生き方が大きく変わり、「自然とともに生きるとは」「自然との調和」・・というところに今まで以上に意識が向き、毎月東京と八ヶ岳麓のデュアルライフの中で自然から教わることが多くありました。

私が昔から感銘を受けている老子(ろうし)の道(tao)にも通ずる、自然をもって教典とする古神道の教え。

わが国で唯一、「古神道本宮」の名を冠し、日本の伝統精神文化の原点を正しく伝承する「身曾岐神社」

 

何度も言いますが、「みそぎ」とは、きれいになること。

「みそぎ」は、目に見えない人間の不幸や苦しみや悲しみの原因となる一切の罪穢れを祓い清めるのです。

清めるというのは人間としての本性に立ち返ることです。

たまたま訪れた神社が、私の大切にしているものをあわせもった神社だったということ、そしてそこはとても霊的な場所であったこと。

 

誕生日の日に導かれるように訪れた神社が「身曾岐神社」で、またさらに「古神道の学び」を深めたくなったのでした。

 


「とほかみえみため」は最古であり最強の祝詞(のりと)

身曾岐神社では、ご先祖さま以来の罪穢れ一切を祓い清める「一切清浄」というお祓いがあります。

新たな門出に立った夫・誕生日という新しい生まれ変わりの日の私、我が家のエネルギーの源である息子の家族分を込めて、代表して夫がお祓いを受けました。

(私たちは同席しただけですが、それだけでも物凄いエネルギーが)

そこに飾られていたのが「とほかみえみため」最古の古神道の祝詞でした。

この祝詞には様々な解釈があるようですが、そのうちの

宇宙・地球・父母という私たちを生み出す根源の意が込められているとか。

宇宙を象徴するすべての根源の神〈 天之御中主神(アメノミナカヌシ)〉

生まれた土地の守護神〈 産土神(ウブスナガミ)

国生みと神生みの父母である神〈 伊奘諾・伊奘冉(イザナギ・イザナミ

 

これらすべてを指す祝詞が「とほかみえみため

なんだかものすごくパワーが宿っていると感じるのは私だけでしょうか。

お祓いや浄化(空間の浄化も含む)をする際は

祓い給い清め給えと唱えながら「とほかみえみため」も唱え祈るようになりました。

是非、参拝される際は「とほかみえみため」と唱えながらお手を合わせられることをお勧めします。

 


御神水に宿るエネルギー

水と神様には密接な関係あり、ご縁が深いです。

神社の敷地や境内に湧くお水を「御神水」と言いますね。

水は、もともと波動に敏感なのでエネルギーが宿りやすいのですが、神社などの水は波動が高い環境のエネルギーを転写しているので、より一層パワフルなんですね。

 

今まで、数え切れないほどの神社へ行き、たくさんの御神水を頂いてきましたが、禊を受けた後だからか?(いや、私自身は受けていない笑)

一口、飲んだ瞬間から身体の細胞がその凄まじいエネルギーを敏感にキャッチしたのです!!

 

夫婦揃ってエネルギー感度高めなのですが、

決まって夫は鳥肌、私は電流、というそれぞれの特徴があるのです。

この時も本当にすごかったですね。

何なら、境内に足を踏み入れた瞬間よりも感じたかもしれません。

二人感動して、何杯も飲ませて頂きました。

あまりの凄まじさに驚きを隠せず、、

身曾岐神社には水祥殿という社があるのですが、八ヶ岳より湧き出る井戸を神座(かむくら)として祀っているのだそう。

身曾岐神社と八ヶ岳の霊力が交わった強力な水であり、その水で禊がれ、心身の輝きを取り戻すことができるそうです。

心から納得(!)訪れた際は、ぜひ神さまのお水を頂いてみてくださいね。

山梨県北杜市の身曾岐神社を訪れることを推奨いたします。

 

神は火水なり⚡︎

 

 

God Bless You,

Natsuko.

 

超重要!何事も他になく、己にあり


それで、このみちでは、「何事も他になく、己にあり。」と伝えています。

日本人のいさぎよさ、いさぎよい生き方というのは、こういうところから生まれているのです。

 


みそぎの淵源、そして、

みそぎをすればどうなるのか?


イザナギの大神さまは、黄泉の國から戻されたとき、自らお気づきになって、みそぎをされました。

そして、みそぎをされる中でたくさんの神さまがお生まれになります。

 

この場面、最後は、次のように描かれています。

 

左目を洗ってアマテラス大神さま、右目を洗って月読命さま、鼻を洗ってスサノオの大神さまが生まれます。この三人の御子神(みこがみ)は、とりわけうるわしい御子神でした。

イザナギの大神さまは大変お喜びになって、自分が今まで治めていた國をこの三人の御子神におまかせになって天へと還って行かれます。

つまり、みそぎをすると、あとをすべて託せるほどの運びがあるのだということが描かれているのです。

すごくないですか?

「みそぎ」こそが運びに預かれる唯一の手立てなんだということです。

引用ここまで


参考リンク: https://www.misogi.jp/


 

私たちは、御祭神の御徳を頂きながら「みそぎ」に励み、天地自然と一体になることによって、本性に立ち戻り、この世で生きながら神になることができるのです。

天地(あめつち)とともに生き合い、自然をもって教典とする〈いのちの信仰〉古神道。

この古神道の思想が、私にとっての生きる基盤であり私たち人間にとっての根本なのだと感じています。

それを体感するかのように、数年前から八ヶ岳の自然と触れ合う機会が増え、

2020年の4月、緊急事態宣言発令と共に、我の生活スタイル・私自身の生き方が大きく変わり、「自然とともに生きるとは」「自然との調和」・・というところに今まで以上に意識が向き、毎月東京と八ヶ岳麓のデュアルライフの中で自然から教わることが多くありました。

私が昔から感銘を受けている老子(ろうし)の道(tao)にも通ずる、自然をもって教典とする古神道の教え。

わが国で唯一、「古神道本宮」の名を冠し、日本の伝統精神文化の原点を正しく伝承する「身曾岐神社」

 

何度も言いますが、「みそぎ」とは、きれいになること。

「みそぎ」は、目に見えない人間の不幸や苦しみや悲しみの原因となる一切の罪穢れを祓い清めるのです。

清めるというのは人間としての本性に立ち返ることです。

たまたま訪れた神社が、私の大切にしているものをあわせもった神社だったということ、そしてそこはとても霊的な場所であったこと。

 

誕生日の日に導かれるように訪れた神社が「身曾岐神社」で、またさらに「古神道の学び」を深めたくなったのでした。

 


「とほかみえみため」は最古であり最強の祝詞(のりと)

身曾岐神社では、ご先祖さま以来の罪穢れ一切を祓い清める「一切清浄」というお祓いがあります。

新たな門出に立った夫・誕生日という新しい生まれ変わりの日の私、我が家のエネルギーの源である息子の家族分を込めて、代表して夫がお祓いを受けました。

(私たちは同席しただけですが、それだけでも物凄いエネルギーが)

そこに飾られていたのが「とほかみえみため」最古の古神道の祝詞でした。

この祝詞には様々な解釈があるようですが、そのうちの

宇宙・地球・父母という私たちを生み出す根源の意が込められているとか。

宇宙を象徴するすべての根源の神〈 天之御中主神(アメノミナカヌシ)〉

生まれた土地の守護神〈 産土神(ウブスナガミ)

国生みと神生みの父母である神〈 伊奘諾・伊奘冉(イザナギ・イザナミ

 

これらすべてを指す祝詞が「とほかみえみため

なんだかものすごくパワーが宿っていると感じるのは私だけでしょうか。

お祓いや浄化(空間の浄化も含む)をする際は

祓い給い清め給えと唱えながら「とほかみえみため」も唱え祈るようになりました。

是非、参拝される際は「とほかみえみため」と唱えながらお手を合わせられることをお勧めします。

 


御神水に宿るエネルギー

水と神様には密接な関係あり、ご縁が深いです。

神社の敷地や境内に湧くお水を「御神水」と言いますね。

水は、もともと波動に敏感なのでエネルギーが宿りやすいのですが、神社などの水は波動が高い環境のエネルギーを転写しているので、より一層パワフルなんですね。

 

今まで、数え切れないほどの神社へ行き、たくさんの御神水を頂いてきましたが、禊を受けた後だからか?(いや、私自身は受けていない笑)

一口、飲んだ瞬間から身体の細胞がその凄まじいエネルギーを敏感にキャッチしたのです!!

 

夫婦揃ってエネルギー感度高めなのですが、

決まって夫は鳥肌、私は電流、というそれぞれの特徴があるのです。

この時も本当にすごかったですね。

何なら、境内に足を踏み入れた瞬間よりも感じたかもしれません。

二人感動して、何杯も飲ませて頂きました。

あまりの凄まじさに驚きを隠せず、、

身曾岐神社には水祥殿という社があるのですが、八ヶ岳より湧き出る井戸を神座(かむくら)として祀っているのだそう。

身曾岐神社と八ヶ岳の霊力が交わった強力な水であり、その水で禊がれ、心身の輝きを取り戻すことができるそうです。

心から納得(!)訪れた際は、ぜひ神さまのお水を頂いてみてくださいね。

山梨県北杜市の身曾岐神社を訪れることを推奨いたします。

 

神は火水なり⚡︎

 

 

God Bless You,

Natsuko.

 

 

身曾岐神社の身曾岐(みそぎ)とは、「きれい」になることです。

この身曾岐神社は、御祭神・井上まさかね翁がお伝えになった古神道の奥義「みそぎ」の行法並びに徳を広く皆さまにお分けする神社です。

そもそも身曾岐神社の身曾岐は当て字、音だけ使っています。「みそぎが大事である」と伝える神社です。

みそぎとは、「きれい」になることを指します。

もちろん、滝に打たれたり、海や川で水をかぶったりする行も「みそぎ」ですが、神道では目に見えない心や運命までも「きれい」にして、」1日1日を楽しく、明るく、生き生きと過ごすことを何よりも重んじています。

日本人は何事も「きれい」「きたない」を考え方の根本に据えています。たとえ仕事で失敗しても、大きな災難が降りかかっても、ある期間、しっかりとみそいで「きれい」になれば、新たな人生を踏み出せると考えました。

私たちが健康でいられるのも、よき縁に結ばれるのも、学業が成就するのも、事業が繁盛するのも、すべて「みそぎ」から。

まず「みそぎ」を行い、きれいな心と体になってこそ、すべての願いは叶うのです。

「みそぎ」は、多くの方が、水のあるところ、例えば、川とか、海とか、滝とか、そのようなところで、水を浴びて身を清めることだと捉えておられます。

それは、決して誤りではないのですが、「みそぎ」をもっと簡単に、ひと言で言い表すならば、「みそぎ」とは「きれい」になることです。これは、女性の方が、お化粧をしてきれいになるということではありません。

「きれい」の反対は、「きたない」ということですが、この「きれい」「きたない」ということが私たち日本人が持つ特有の価値観です。

人を罵る(ののしる)言葉に、「きたないやつ」という表現があります。

誰か知り合いから、「おまえ、きたないやつだな。」と言われたら、どんなふうに感じますか? とてもショックですよね。

これは、単に悪い奴と言われるより、もっと悪い。人間として風上に置けない奴、あなたは人間ではないと言われるに等しいという意味合いになります。

なので、私たちは、西洋のように、物事を善悪(善し悪し)で見ず、きれいかきたないかで見ている訳です。では、きれいかきたないか、自分がきれいなのかきたないのか、どのようにすれば分かるのでしょうか?

これは、簡単なことで、鏡に自らの姿を映し出してみれば分かります。

例えば、ほっぺたに墨がついているとします。

すると、

鏡に映せば、そのように映ります。

「あっ!ほっぺたに墨がついてる。」と。

そのときどうしますか?

鏡、拭きますか?

絶対にしない、鏡は絶対に拭かないですよね。

鏡ではなく、自分のほっぺたを拭うわけです。

では、こういうことありませんか。

家でご主人と喧嘩になった。

私は悪くない。あなたの方が悪いんじゃない。

あるいは、職場で困ったことが起きた。

働く環境が悪いんだ。とか。

これ、鏡を拭いていることと同じだ!ということが分かりますか。

これをやっている限りは、事態は改善しません。絶対に、問題は、解決には至りません。

確かに、相手に非があったのかもしれません。環境が良くないのかもしれません。ところが、なぜそのようなことに縁づいたのか、その観点が全くありません。

 

つまり、鏡を拭いているばかりでは、鏡はきれいになるかもしれませんが、事態は好転しないのです。まずは、自分を見つめ直すことから始めないと。


超重要!何事も他になく、己にあり


それで、このみちでは、「何事も他になく、己にあり。」と伝えています。

日本人のいさぎよさ、いさぎよい生き方というのは、こういうところから生まれているのです。

 


みそぎの淵源、そして、

みそぎをすればどうなるのか?


イザナギの大神さまは、黄泉の國から戻されたとき、自らお気づきになって、みそぎをされました。

そして、みそぎをされる中でたくさんの神さまがお生まれになります。

 

この場面、最後は、次のように描かれています。

 

左目を洗ってアマテラス大神さま、右目を洗って月読命さま、鼻を洗ってスサノオの大神さまが生まれます。この三人の御子神(みこがみ)は、とりわけうるわしい御子神でした。

イザナギの大神さまは大変お喜びになって、自分が今まで治めていた國をこの三人の御子神におまかせになって天へと還って行かれます。

つまり、みそぎをすると、あとをすべて託せるほどの運びがあるのだということが描かれているのです。

すごくないですか?

「みそぎ」こそが運びに預かれる唯一の手立てなんだということです。

引用ここまで


参考リンク: https://www.misogi.jp/


 

私たちは、御祭神の御徳を頂きながら「みそぎ」に励み、天地自然と一体になることによって、本性に立ち戻り、この世で生きながら神になることができるのです。

天地(あめつち)とともに生き合い、自然をもって教典とする〈いのちの信仰〉古神道。

この古神道の思想が、私にとっての生きる基盤であり私たち人間にとっての根本なのだと感じています。

それを体感するかのように、数年前から八ヶ岳の自然と触れ合う機会が増え、

2020年の4月、緊急事態宣言発令と共に、我の生活スタイル・私自身の生き方が大きく変わり、「自然とともに生きるとは」「自然との調和」・・というところに今まで以上に意識が向き、毎月東京と八ヶ岳麓のデュアルライフの中で自然から教わることが多くありました。

私が昔から感銘を受けている老子(ろうし)の道(tao)にも通ずる、自然をもって教典とする古神道の教え。

わが国で唯一、「古神道本宮」の名を冠し、日本の伝統精神文化の原点を正しく伝承する「身曾岐神社」

 

何度も言いますが、「みそぎ」とは、きれいになること。

「みそぎ」は、目に見えない人間の不幸や苦しみや悲しみの原因となる一切の罪穢れを祓い清めるのです。

清めるというのは人間としての本性に立ち返ることです。

たまたま訪れた神社が、私の大切にしているものをあわせもった神社だったということ、そしてそこはとても霊的な場所であったこと。

 

誕生日の日に導かれるように訪れた神社が「身曾岐神社」で、またさらに「古神道の学び」を深めたくなったのでした。

 


「とほかみえみため」は最古であり最強の祝詞(のりと)

身曾岐神社では、ご先祖さま以来の罪穢れ一切を祓い清める「一切清浄」というお祓いがあります。

新たな門出に立った夫・誕生日という新しい生まれ変わりの日の私、我が家のエネルギーの源である息子の家族分を込めて、代表して夫がお祓いを受けました。

(私たちは同席しただけですが、それだけでも物凄いエネルギーが)

そこに飾られていたのが「とほかみえみため」最古の古神道の祝詞でした。

この祝詞には様々な解釈があるようですが、そのうちの

宇宙・地球・父母という私たちを生み出す根源の意が込められているとか。

宇宙を象徴するすべての根源の神〈 天之御中主神(アメノミナカヌシ)〉

生まれた土地の守護神〈 産土神(ウブスナガミ)

国生みと神生みの父母である神〈 伊奘諾・伊奘冉(イザナギ・イザナミ

 

これらすべてを指す祝詞が「とほかみえみため

なんだかものすごくパワーが宿っていると感じるのは私だけでしょうか。

お祓いや浄化(空間の浄化も含む)をする際は

祓い給い清め給えと唱えながら「とほかみえみため」も唱え祈るようになりました。

是非、参拝される際は「とほかみえみため」と唱えながらお手を合わせられることをお勧めします。

 


御神水に宿るエネルギー

水と神様には密接な関係あり、ご縁が深いです。

神社の敷地や境内に湧くお水を「御神水」と言いますね。

水は、もともと波動に敏感なのでエネルギーが宿りやすいのですが、神社などの水は波動が高い環境のエネルギーを転写しているので、より一層パワフルなんですね。

 

今まで、数え切れないほどの神社へ行き、たくさんの御神水を頂いてきましたが、禊を受けた後だからか?(いや、私自身は受けていない笑)

一口、飲んだ瞬間から身体の細胞がその凄まじいエネルギーを敏感にキャッチしたのです!!

 

夫婦揃ってエネルギー感度高めなのですが、

決まって夫は鳥肌、私は電流、というそれぞれの特徴があるのです。

この時も本当にすごかったですね。

何なら、境内に足を踏み入れた瞬間よりも感じたかもしれません。

二人感動して、何杯も飲ませて頂きました。

あまりの凄まじさに驚きを隠せず、、

身曾岐神社には水祥殿という社があるのですが、八ヶ岳より湧き出る井戸を神座(かむくら)として祀っているのだそう。

身曾岐神社と八ヶ岳の霊力が交わった強力な水であり、その水で禊がれ、心身の輝きを取り戻すことができるそうです。

心から納得(!)訪れた際は、ぜひ神さまのお水を頂いてみてくださいね。

山梨県北杜市の身曾岐神社を訪れることを推奨いたします。

 

神は火水なり⚡︎

 

 

God Bless You,

Natsuko.